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オカベを知る

半田そうめんの歴史と特徴

約300年続く伝統の手延製法で製麺されたオカベの麺。
「そうめんより太く、うどんより細い麺」がここ半田では”そうめん”と名乗ることができます。
半田そうめん(オカベの麺)の歴史とその特徴をご紹介します。

オカベの麺とは?

手延べの“半田そうめん”

オカベの麺とは、 徳島県美馬郡つるぎ町の半田地区 (旧半田町)で株式会社オカベが製造・生産している、手延べの“半田そうめん”になります。
株式会社オカベでは、昔からの伝統と独自製法で、今でも職人の手でひとつひとつ“手延べ”にこだわって「オカベの麺」をつくっています。ほどよい太さの麺からうまれる独特の麺のコシが人気の理由です。

半田そうめんとは?

素麺より太く、うどんより細い麺

半田そうめんの多くは直径1.3mm〜1.6mmが多いのでJAS規格では「ひやむぎ」に分類されます。しかし、江戸時代中期から続く伝統と技術により「そうめん」 と表記できることになっているのです。

半田そうめんの歴史

江戸時代から続く約300年の歴史

「大和三輪さうめん、細きこと糸のごとく、白きこと雪の如し、ゆでてふとらず、全国より出づるさうめんの及ぶところにあらず、又阿波より出づるもの名産なり。三輪さうめんにおとらず。」と、1754年に書かれた「日本山海名物図会」に記述されているように、古くから半田そうめんは定評があります。

半田そうめんの始まり

半田そうめんの起源には諸説ありますが、有力な説では天保の時代、吉野川河畔の小野地区で、家族の自給用や副業として作られたのが始まりといわれています。その製麺の方法は、今の奈良県桜井市から半田の地に伝えられたといわれています。また、その技術を伝えたのは、そうめん職人ではなく船を操る船頭さん達が見よう見まねで伝えたのが始まりとされています。

半田そうめんの特徴

半田そうめんが太い理由

船頭さんが作り始めたと言われる半田そうめんは、船頭さんたちが自分で食べる為に手間をかけずに作ったそうめんがもととなったため「麺が太くなった」のだと言われています。また、その他の理由としては当時の技術的な面、小麦粉の質などの問題もあったようです。その当時の太さが長い歴史をかけて受け継がれ、今日の半田そうめんとなっているのです。

半田町とそうめん

秋口から始まる寒素麺作りは、四国三郎・吉野川の豊富な地下水と阿讃山脈から吹き下ろす寒風”剣山おろし”によって育まれます。
他の手延べ麺に比べてひと回りほど太く、コシが強く、のびにくく、つるりとした喉ごしが特長の半田そうめん。奈良県三輪をはじめとする他の有名産地の品にはみられない独特の食感があることで今は多くの皆さまに愛されております。
しかし、一時は300軒ほどあった手延べ麺生産者も、今では約30軒ほど。半田町(現在はつるぎ町)は、正に『そうめんの里』。面積の約7割以上を山林が占める自然豊かな町で作られ、約300年という長い歴史を持つ伝統の味は全国的に見ても最高級の品質を誇る逸品です。

豆知識

四国三郎(しこくさぶろう)とは?

オカベの横を流れる吉野川。普段は穏やかな流れの第一級河川ですが、雨が多くなると顔つきを変え暴れ川と化します。日本三大暴れ川としても有名で、関東の利根川が長男の坂東太郎(ばんどうたろう)、九州の筑後川の次男である筑紫次郎(つくしじろう)、そして吉野川が末っ子の四国三郎(しこくさぶろう)と呼ばれているのです。

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剣山(つるぎさん)とは?

地元では“けんざん”と呼ばれている剣山。西日本第二の高峰で、徳島県では最高峰です。オカベから南へ車で約1時間くらい。そこから約1時間で標高1,955mの頂上まで登ることが出来ます。一人乗りのリフトもあり、夏になると多くの登山客でにぎわい、例大祭の時には山頂でお神輿を担ぎ練り歩きます。

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